歴史と受け継がれる伝統
何を、どんな方法で、どこで行うのか。それはバーボンづくりにおいて、どれも欠かすことのできない重要な要素だ。
マスターディスティラー:蒸留責任者
OUR HISTORY
豊かな歴史だけが、力強い未来を切り拓くことができる。ワイルドターキーの歴史を紐解く。
1855-1940
ワイルドターキーの誕生
1855
オースティン・ニコルズ社が食料品卸売業社としてワインと蒸溜酒の販売をはじめる。同社はのちに、ワイルドターキーのオーナーとなる。
1869
リッピー兄弟がケンタッキー州ローレンスバーグのワイルドターキーヒルで、家族経営の蒸溜所を開設する。
1893
リッピー兄弟のバーボンが、イリノイ州シカゴで開催されたワールドフェアでケンタッキー州代表になる。
1940
毎年恒例のハンティングで蒸溜所オーナーが友人たちに振る舞ったバーボンをきっかけに、ワイルドターキーという名が生まれた。もちろん狩りのターゲットは七面鳥だった。
1954-1995
ラッセルの時代
1954
ジミー・ラッセルがワイルドターキーに加わる。ジミーは3代目マスターディスティラーとして、初代ディスティラーの息子であるアーネスト・ W. リッピーと2代目マスターディスティラーであるビル・ヒューズから、直々にバーボンづくりの技術を学んだ。
1976
より多くの人々にバーボンの世界を知ってもらうため、ワイルドターキーは世界初のバーボン・リキュールを発表。 それがのちに、ワイルドターキー・アメリカンハニー製造への足掛かりとなった。
1981
ジミーの息子、エディー・ラッセルが交代要員としてワイルドターキーに加わり、そこからマスターディスティラーへの階段を上りはじめる。
1991
ワイルドターキーが商品化した初めてのバレル・プルーフ(樽出し無加水)バーボンのひとつ、レアブリードを発表する。
1995
単一樽の原酒からつくるアルコール50.5%(101プルーフ)のシングルバレル バーボン、ケンタッキースピリットを発表する。
2000 – TODAY
新たなビジョン
2000
マスターディスティラー、ジミー・ラッセルが、ケンタッキー・バーボンの殿堂入りを果たす。
2004
ジミー・ラッセルが、ワイルドターキー蒸溜所勤続50周年を迎える。
2010
父ジミーに続き、エディー・ラッセルもケンタッキー・バーボンの殿堂入りを果たす。
2015
エディー・ラッセルがマスターディスティラーの称号を与えられる。ここに世界で唯一の現役バーボン・マスターディスティラーの親子が誕生した。
2016
著名な俳優でありバーボン愛好家であるマシュー・マコノヒーが、クリエイティブディレクターとしてワイルドターキーのチームメンバーとなる。
アメリカの象徴をつくるということ
蒸留の伝統から樽熟成の技術に至るまで、ワイルドターキーの製造は決して簡単ではない。しかし、ほかの方法ではワイルドターキーを作ることはできない。
アメリカの象徴であるワイルドターキーをつくるために必要なことを紹介しよう。